概念をエンジニアリングする: スマフォアプリ vs. UNIX
この記事は全体的にツッコミどころが多いので読まなくていい
# アナロジー
(概念工学についてはよく知らないのに関係あるっぽいタイトルにしてしまった
〔追記:原子概念から組合せたほうがいいというのは、直感が信頼できない場合だけでは。
既存の直感が結びついた概念を、より原始的な概念からの複合で置き換えることで明示的な推論だけで扱うようにするのは、直感が信頼できる場合には、失うものがある。
「男」というのを、「有陰茎パーソン」という場合、陰茎の有無と相関したそれ以外の性質に関する無意識な直感的推論 (ヘブ則みたいなの) をストップさせる効果がある。もし「有陰茎パーソン」という語を使う場合でそういう推論をしたい場合には、明示的に「陰茎の有無と攻撃性は相関する」などということを表象してそれを使って推論することになる気がする。
(どちらの推論も知識 (あるいは信念) を使っていると言えるだろうけど、前者の方はより暗黙的に実現されている知識(信念)だろう)
そういった直感が懐疑されている状況では、いちいちそれを明示的に表象して吟味する方が得だけれども、直感がある程度信頼できるとわかっていて、素早い推論が求められる場合では直感的推論と結びついた語を最初から使うほうがいい。
これは、複合だからではなく、見慣れない言い換えだから直感的推論がストップするということでもあるけれど。
「これって直観的に行っているけど、前提Pに基づいていて、Pの根拠とか知らないし、自明ではないよね」っていうやつを行っていくやつによって、直観を停止する
囲碁は知らないけれど、囲碁の厚みとか模様というのは直感的・実践的には理解されているけれど説明するのは難しいらしい。
囲碁なんだから、結局石と盤面という原子概念に還元できるはずではあると思うけど、そうするのは簡単ではないということだ。
だからそれを使わないほうがいいかというと、そうとは限らないだろう。
〕
サルは数字を覚える時、いちいち新しい言葉を覚えるようにしてしか覚えられない。
UFOという概念を覚える時、これを"未確認飛行物体"として覚えるのではなく、サルが数字を覚えるときのように新しい言葉を覚えるように覚える
(新しい概念を捉える時ってどんなふうだろう。反省的判断力? 抽象作用? 連想記憶? 家族的類似性? 普遍者を直知(ラッセル)?)
サルでなくても再帰的な木構造を扱える深さが浅い人だとそういうふうになってしまうのではないだろうか
思考を木構造としたときの扱える深さっていうのが個人個人によって違うんじゃないか
仮説: ブロックを複数組み立てる能力が低い人は組み合わせできないので最初からたくさんのブロックがあつらえられてないと困る。
同様に、扱える木構造の深さが浅い人はあつらえられた概念がたくさん無いと思考できないので概念を無駄に増やしたがるのではないか (cf. Rand's razor)〔追記:なんでも基礎からの組合せをいちいち作るよりは、一般的に関数、変数、補題には名前をつけたほうがいいのであり、木構造をむやみに深くするほうが悪い気もする。必要があれば基本的なものに展開できる形式で表現されていた方が便利ではあるけど。〕
〔追記: これは個人差で説明するのは筋が悪いかも? 口頭でのコミュニケーションで再帰が深かったら大変なのではないか。
紙に書くなら誰でも、ある程度再帰が深い思考を表現できる。〕
(この場合木構造の扱える深さと言うより組み合わせるためのプロトコルがマッチするかという話になるが) 多数のあつらえられたレディメイド概念を使うスマフォアプリ的思考と、あつらえられた概念はあとは少数で自分で組み立てて使うUNIX的思考がある
UNIXはレゴブロックに置き換えても良い
〔追記: なんかUNIXというOSというよりUNIXコマンドとUNIX哲学(プログラムを小さく分かりやすい協調性を持ったピースに分割)を意識してUNIXって言った
スマフォアプリ自体は協調しにくいが、それを実装しているプログラムは協調しているし、そもそもAndroidはLinuxベースだろみたいなツッコミがあるかもしれない?
(追記の追記: 概念が内部的により小さい概念からの合成でできているかというのと、それ自体が他との合成に使いやすいかというのは別の話で、UNIXコマンド自体はそもそもC言語で書かれているだろう、だからアナロジーが失敗してる)〕
「あつらえられた」と言っても他人が作ったとも限らないけれど。
概念工学はスマフォアプリを作りたいのか、UNIXを作りたいのかって問いがある
〔スマフォアプリでもファイルなどの形式でコミュニケーションしている(し、android はLinuxが元)のでは〕
〔なんで概念工学について知らないのに概念工学について言及しようと思った →私〕
UNIX上でアプリを作りたい、というのもあり得るがそれだと概念分析と似てる。
概念分析とはUNIX (一階述語論理+α) 上でコマンドを組み合わせてスマフォアプリ (自然言語) の機能を再現する試みでは。
分からないものは自分で組み立てて再現してみよう、ってわけだ。
デイヴィッド・ルイスの『コンヴェンション』はこのノリですばらしいUNIXアプリを作り上げている。
一階述語論理と命題的態度心理学 (意思決定理論) というUNIXを使って。
〔追記: ここで概念を表すのに比喩を使うのはブーメラン的ではないか〕
スマフォアプリ的思考のメリット: 個別に最適化がかかってる
特定の状況で動作するような最適化をかけることで柔軟さが失われる
UNIX: メモ化、alias
人間の思考の特徴: aliasすることでメモ化がかかりやすくなる
ネイティブアプリ
慣用句化
UNIX的思考のメリット: 何をやってるかが分かりやすい、柔軟、色々できる、アプリ開発者とユーザーの距離が狭い、安全性が検証しやすい
全体の振る舞いを部分の振る舞いから説明できる
スローフード的
木構造の深さ→木構造の高さ
スマフォアプリ的思考とUNIX的思考の対比は以下のような概念工学への批判にも見て取れる:
もっと素朴な疑問としては,なぜ単語の意味を変えることに関心を注ぐ一方で,たんに統語的に組み合わせて複合的な表現ですませようとしないのはどうしてなのか,よくわからない.
ニュースピーク
ニュースピーク、言語の複雑性(不規則動詞など)を無くせば表現を制限できるみたいな考えに基づいてた気がするけど逆な気がするんだよな。基礎がシンプルで規則的であればあるほど単純な原子の組み合わせでバリエーションのある表現ができてしまうのでは?
たとえば複数形のintegersでintのリストを表せるなら、integerssでintのリストのリストを表せたほうが、不規則性がないと言える。そして、この方が表現力が高い。
実質組み合わせに役立つブロックを一般ユーザーに開放するのより、原始的な社会の言語みたいに個々の語に意味がつまってる形式のほうが表現力を制限できそう
その意味では略語の多用は (被治者の思考を制限する上で) 適切と言える (これって何の略?と考える余地があるので、全然別の言葉を使えるならそのほうが制限できる)
哲学者をエンジニアとしてみると、カントやヘーゲルは密結合で何でもするフレームワークを作ってしまったのだ 〔追記: 私はカントやヘーゲルについてほぼ知らない。超越論的論証とか、「概念なき直観は盲目である」とか、全体論とかのパーツだけを取り出している人は居るのでは?〕
だからヘーゲル主義者は"jQueryエンジニア", "Tensorflowエンジニア"みたいなもので他のフレームワークを使う人と共同作業するのが難しい